「つながり~」 信頼関係の構築と価値創造
山崎 英之 氏(中部支店所属)
大手技術系派遣会社に勤務し、そこから電車・家電関連の経験を経て、地元のソフトハウスに転職。約15年の業務経験を持って、PE-BANKに。
現在は、大手製造業のシステム開発プロジェクトに参画中。
中部支店プロエンジニアとして、SAC事務局長を務める。何をするにも、とにかく楽しむことをモットーに、仲間たちと日々精進している。
地元のソフトハウスに在籍中にPE-BANKと出会ってから約10年、現在までフリーランスとして仕事を続けています。独立当事は1人で働くことに期待と不安がありました。会社ではなく個人単位で評価されることにストレスを感じ、また、本当に1人でいいのかという葛藤もありました。
そして、仕事を続けていく中で、つながりがないその先の発展のビジョンが見えず、どうしたら楽しく仕事ができるのか、つながりを価値にしていくのが本筋ではないか、という考えに至り、3年前にPE-BANK中部支店で勉強会SACを発足しました。
SACでは年代、男女問わず、同じ立場での議論や前向きな意見交換が行われ、サラリーマンでは考えられないつながりが生まれています。そしてPE-BANKと強いつながりを持ち、楽しんで仕事する仲間も増加中です。みなさんも是非私たちSACとつながってみてください。
発見!明るい未来をつなげるキー ~0.8%を生きる男の確信~
折原 正博 氏(関西支店所属)
1965年生まれ。バブル期に唯一採用してくれた会社を経て、4半世紀に渡りフリーエンジニア。0.8%の政府統計に入る環境となるも、残業した時間は100時間未満。
プロエンジニアとしての矜恃がその働き方を実現している。
タイトルの0.8%とは父子家庭の割合。今、私は息子と2人暮らしのいわゆる父子家庭です。フリーランスとして25年、PE-BANKとは3年で3つの現場を経験してきました。希望通りでない現場もありましたがPE-BANKの営業の方と常にコミュニケーションをとり、状況をキチンと伝え、対処してもらえたことで今の理想的な現場に辿り着きました。このことで仕事上でのコミュニケーションの重要性、そしてつながりの大切さを学ぶことができました。
家庭でも同様です。息子の学校行事への参加と仕事の両立で自分の時間は減りました。しかしキチンと向き合うことで、つながりや絆は深まりました。また行政書士試験への挑戦という私の努力する姿が息子の勉強の奮起につながり、努力を継続することの大切さを実感することができました。
かつて私が運営する父子家庭向けWebサイトがニュースに取り上げられ、児童扶養手当の法改正に一役かったと思えるエピソードがありました。発信を続け、意識し、行動したことが社会とのつながりになり、何かを変える力になったのだと確信しています。大切なのは自分のできる何かからはじめ、続けること。それが明るい未来へとつながる第一歩だと思っています。
プロエンジニア流リスク管理術 ~人の繋がりが未来を紡ぐ~
藤井 聰勇 氏(関西支店所属)
得意分野は、クライアントサイド~サーバサイド全般。 AWS、GCP等のクラウド、果ては講演・勉強会開催等々雑食系エンジニアとして活動。
最近は Golang 推し。関西支店にて『本当は誰にも教えたくない!? 実践Golang勉強会』を開催中。私事ではシーシャ(水タバコ)エヴァンジェリスト としてシーシャを普及活動中!?
2016年プロエンジニアフォーラムでの講演『面談が楽しくなる!?プロ意識高い系スキルシート作成術』では大賞を受賞。
メリットを得るためにはリスクがつきものです。それは仕事だけでなく日々の生活でも同様です。私はかつて妻の妊娠をきっかけに、仕事と生活の上で大きなカベにぶつかりました。そのことから仕事を放棄し妻とも別居。一度、全てを投げ出したのです。心身ともに疲弊した時にやがて妻から救いの手が差し伸べられました。そこからたくさん会話をし、意見の齟齬を解消。仕事もPE-BANKでの勉強会をきっかけに以前放棄した仕事も再開。あらためて横のつながりを持つ仲間もできて自信を取り戻しました。
そして、家族との溝を埋め以前よりつながりを持ったことで危機的状況を打破したのです。この経験から、人生のリスク管理にはつながりを作ることが大切なのだと気づきました。プロエンジニア流リスク管理も基本は同じです。仕事の幅を広げるためにつながりを持ち、想定外のリスクにはできる限りの保険をかける。それにはPE-BANKを徹底活用するのが近道です。勉強会への参加や資格の取得、懇親会への参加など積極的に活用してリスクを管理してください。
フリーランス IT エンジニアにとっての「つながり」
垣花 暁 氏(九州支店所属)
福岡でフリーランスの物流系エンジニアとして活動中。.NET と Java と Oracleをメインで使用。物流倉庫業務の、立上げから運用保守まで、基本設計・詳細設計・DB設計、プログラミング・テスト・運用・保守・顧客折衝と、様々な工程に携わる。
様々な勉強会に参加し、時々LTも行っている。
ポートフォリオ作って、自分のスキルセットや考え方を発信。https://kakisoft.github.io/
2018年1月からフリーランスとして活動する中で、会社員とは違うつながりがあるのだとあらためて知りました。エージェントやフリーランス仲間、勉強会で知り合ったエンジニア、個人活動で知り合った方などです。
なかでも、新しいつながりがエージェントです。上下ではなく、どちらかの意思で関係を薄められる緩さがあるつながり。それが不当な力関係が生じない良い関係に繋がっているのだと分かりました。また、フリーランス仲間とは多種多様なキャリアを持つ方と、考え方の幅が広がるつながりが持てます。
そして、勉強会で様々な会社の多種多様な価値観を持つエンジニアと出会えます。それは仕事にもつながります。フリーランスは背景や肩書はなく人間性や技術力、特殊技能性など個人としての繋がりが求められる。だから状況に合わせて関わり方を柔軟に変化させていく姿勢も必要。それが新しい繋がりを生み、人生の選択肢を増やしていくことにもなるのではないかと思っています。
4名の最終プレゼンテーションが終わり、来場者による投票の集計も完了。ついに審査結果の発表がはじまります。
張り詰めた空気の中、優秀賞を受賞した4名が壇上に。誰が今年度の「PRO of PRO Engineer」の栄誉を手にするのか注目が集まる中、ついにその時が!
見事、今年度の「PRO of PRO Engineer」大賞の受賞を果たしたのは、関西支店所属の折原正博さんです。
表彰式がはじまり、まず特別審査員佐々木俊尚氏より大賞の賞状が贈られます。続いて特別講演ゲストである桑田真澄氏からトロフィーの授与が。最後に株式会社PE-BANK代表取締役社長 櫻井多佳子から賞金の目録の授与が行われ、折原さんは満面の笑顔。再度来場者の方から割れんばかりの拍手が送られました。
特別審査員
作家・ジャーナリスト
佐々木 俊尚 氏
1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。毎日新聞社などを経て2003年に独立し、テクノロジから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆している。最新刊は「広く弱くつながって生きる」。「そして、暮らしは共同体になる。」「キュレーションの時代」など著書多数。
電通総研フェロー。総務省情報通信白書アドバイザリーボード。TOKYO FM「タイムライン」MC。NHK Eテレ「世界へ発信!SNS英語術」、文化放送「ニュースマスターズ」レギュラー出演。
大賞を受賞した折原さんは父子家庭という困難な状況から、どのように人生を構築していったのかが明確に伝わってきました。そこが良かった。中でも私が一番感銘を受けたのは努力を継続することの大切さについてのエピソードです。成功する人はやはり努力を継続してきたのです。
フリーランスは先が見えません。だからこそ継続して健全な生活を維持していくことが重要なのだということをあらためて感じることができました。
今は働き方改革と言われていますが、フリーランスのプロのエンジニアこそが、己の力で人生を継続させいる。自分たちこそが働き方改革そのものだ、という強いメッセージが伝わり、とても素晴らしかったと思います。
今は大企業に勤めていても安心はできない。みんなが生活をどう維持していけばいいのか不安に思っている。一歩踏み出し社会に色々なつながりを持ちましょう、と言われても簡単ではありません。
でも、折原さんや優秀賞の3人のお話をうかがうと、皆さんはとうにそのような域を脱している。どのようにつながりを作り、いかにリスクを分散して収入を安定させていくか、ということまで考えられている。
もはや大企業に勤めるよりも、様々な仕事先から収入を少しずつもらうフリーランスのほうが安定している時代なのかもしれません。そんな新しい安定のあり方のようなものがみなさんのお話から浮き彫りになったと思います。
データスタジアム株式会社 執行役員 兼 フットボール事業部 部長
齋藤 浩司 氏
2002年にデータスタジアム(株)に入社し、サッカーデータ事業の立ち上げチームの一員として、データ入力システムや分析ツールの開発に携わる。以後メディア向けセールスや新規事業開発等を経験し現職へ。
現在はサッカー、ラグビーのサービス管理、リーグやクラブ向けセールスを統括している。 その他、各メディアの取材対応や出演あり。1976年生まれ、千葉県出身。
元国際主審・データスタジアム株式会社アドバイザー
岡田 正義 氏
1958年東京都西東京市生まれ。小学校5年生からサッカーを始め、高校時代の恩師の勧めにより大学1年でサッカー4級審判員資格取得。大学2年で3級審判員、大学4年時に2級審判員資格取得。28歳で(財)日本サッカー協会1級審判員資格取得。1993年34歳で国際主審に登録される。その年の5月15日にJリーグが開幕し、第2節5月19日の横浜マリノス対ガンバ大阪戦でJリーグデビュー。
1998年ワールドカップフランス大会でイングランド対チュニジア戦の主審を担当。2002年日韓ワールドカップ開催の年にプロフェッショナルレフェリー第1号となる。J1リーグ主審336試合、国際試合116試合、総試合数1600試合。2010年12月に1級審判員を引退し、2017年12月末まで(公財)日本サッカー協会とトップレフェリーインストラクター契約し主にプロフェッショナルレフェリーや国際主審、Jリーグ担当主審の指導に関わっていた。現在はジャスティス企画代表として色々な角度から審判関連業務を行っている。
レフェリーの現状と技術向上にどのようにITが活用されているのかなどをお話させていただきます。
まず現在日本サッカー協会に登録されているレフェリーですがおよそ27万人です。その中で1級レフェリーは200名強。さらにプロはたった14名です。このプロのレフェリーになるためには実はテストなどはありません。J1の主審や副審をやり、良いパフォーマンスを示す。そして、将来的に有望かつ国際審判員でやっていけると評価されると、ようやくプロの審判としてやってみないかと声をかけられます。これは簡単なことではありません。もちろんプロ以外の一級審判員の方もいます。別の仕事をされながらトレーニングを行い試合の時に審判をしている。これも大変なこと。
そんな日本のトップレベルのレフェリーが、今度のロシアワールドカップに3名参加します。試合だけでなく日本のレフェリーたちの応援も是非お願いします。
レフェリーの技術向上のために取り入れられているIT技術が「レフェリーサポートシステム」です。試合の映像をシーンごとに後から確認できるツールで細かな分析が短時間で行えます。レフェリーのレベルアップに非常に役に立っています。また他のIT技術としては主審がビデオを用いてジャッジをするVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)もJリーグに取り入れられています。これは今度のワールドカップでも使われるので是非注目してみてください。
ワールドカップで笛を吹けるレフェリーを輩出するには、IT技術の活用に加え、全体的なレベルの向上が欠かせません。今後も優秀な人材の発掘や審判環境の整備、またワールドカップレフェリーの継続的な輩出など、高い目標に向かって努力を続けていく必要があるでしょう。
私(岡田氏)は2002年から2010年までプロのレフェリーとして活動していましたが、当時、審判委員長に「現状維持の考えは、すでに下降線をたどっているんだよ。」という言葉を言われました。目標に向かって努力を続けて、はじめて現状維持が可能なのだというのです。その言葉を常々考えながら今も活動しています。皆さんもぜひ、この言葉を覚えておいてください。
「試練は人を磨く」
元プロ野球選手
桑田 真澄 氏
1968年4月1日 兵庫県生まれ、大阪府出身。
PL学園高校で甲子園に5季連続出場(優勝2回、準優勝2回)を果たす。通算20勝を記録。
1985年、ドラフト1位で読売巨人軍に入団し、2年目の87年に沢村賞を獲得。94年に最多奪三振王となり、シーズンMVPを獲得。国民的行事と言われた「10・8決戦」で胴上げ投手となるな、チームの優勝に大きく貢献。95年6月、試合中に右肘靭帯断裂の重傷を負うが、トミージョン手術と長期のリハビリの末、97年4月に復活。02年には最優秀防御率のタイトルを獲得。
2006年、メジャーリーグ挑戦のため21年間在籍した巨人軍を退団。07年にピッツバーグ・パイレーツでメジャー初登板を果たす。(ヤンキースタジアム)08年3月に現役を引退。通算173勝。
2010年、早稲田大大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。
2016年、東京大学大学院総合文化研究科を修了し、現在は特任研究員として研究を続けている。
その他、野球解説、評論、執筆活動、講演活動も行っている。
主な著書
「心の野球-超効率的努力のススメ」
(幻冬舎、2010年)
「野球の神様がくれたもの」
(ポプラ社、2011年)
「常識を疑え」
(主婦の友社、2015年)
「東大と野球部と私」
(祥伝社、2016年)ほか多数
公式ホームページhttp://life-is-art-18.com
野球は素晴らしいスポーツです。しかし反面残酷なスポーツでもあります。結果が全ての弱肉強食の世界。でも私は野球から様々なことを学ばせてもらいました。その一つが表と裏の両立です。
野球には攻撃と守備、表と裏がある。このバランスを取らない限り勝利はない。これが野球から学んだことです。これを自分の人生哲学として今まで生きてきました。
しかし、私も最初からそれができていたわけではありません。両立ができず数々の挫折を味わいました。最初の挫折は小学校時代です。4月1日生まれで身体が小さかった私はまず学力で挫折。夢であった野球でもひどいイジメにあい、結果小学校時代は落ちこぼれグレてしまいました。
しかし、中学1年のとき、母親の「夢をあきらめるな」という言葉からがんばること決意します。そして、コツコツ努力した勉強での小さな成功体験をきっかけに努力の凄さと楽しさに気づきました。
やがて、その努力を野球にも向けました。
自分にできる短時間集中型の努力を続けることで大会にも優勝。そして高校はPL学園に特待生として入学。そこで清原選手に出会いました。何をとっても私よりも上の清原。私はそこで二度目のコンプレックスという挫折を味わったのです。高校ではせっかくチャンスをもらって登板しても結果が出ず、1年生の6月にはピッチャーをクビに。
そこで、一度は転校を考えました。しかし母親に説得され、目標達成には何が必要なのかをあらためて分析しました。そして、かつてのフォームと短時間集中型の努力という中学時代のスタイルに戻し投手として復帰。そこから勝利を重ね気が付いたら甲子園で優勝。そこでつかんだ結論が、自分らしさが何よりも大事だということです。
野球界でもビジネスでも基本や常識は大切。でも、もっと大事なのはそれが自分にあっているのか検証すること。私はこの経験から、早い段階で自分らしさの大事さに気付けたのです。 野球の世界に飛び込み23年間も選手を続けてきましたが、プロ野球生活も苦難、試練の連続でした。でも、いつもあの中学時代につかんだ短時間集中型の努力と、高校時代につかんだ自分らしさ、この2つが僕の背中を押し続けてくれたのです。
数々の挫折が私自身を磨いてくれました。だから多くの試練を乗り越えることができたのだと思います。
2014年にスタートした「プロエンジニアフォーラム」は、株式会社PE-BANKに所属する約3,000名のプロエンジニアの皆様に、様々なテーマに沿って「学び」「気づき」をご提供するイベントとして毎年この時期に開催されるイベントです。
全国で活躍するプロエンジニア(フリーランスITエンジニア)にスピーカーとして登壇し活動成果を発表していただくほか、各業界で活躍する著名人をお招きして特別講演も実施。毎年、多くのプロエンジニアの方にご参加いただいています。
今年の「プロエンジニアフォーラム 2018」のテーマは「つながり」。
全国約3,200名のプロエンジニアから最終審査を通過した4名が本テーマに沿った最終プレゼンを発表。特別審査員として作家・ジャーナリストである佐々木俊尚氏をお迎えするとともに、データスタジアム株式会社 執行役員の齋藤浩司氏と元国際審判である岡田正義氏による「サッカーレフェリーの現状と未来」をテーマにした基調講演、さらに元プロ野球選手 桑田真澄氏よる「試練は人を磨く」と題した特別講演をしていただきました。
「ビフォー・アフター大賞」とは、PE-BANKに所属する約3,200名のフリーランスITエンジニアを対象に、最も自分らしく、新しい働き方を切り開いた所属フリーランスITエンジニアを優秀賞として若干名選出。その中から大賞1名を 「- PRO of PRO Engineer - ワークスタイルリフォーム ビフォー・アフター大賞」として選出するアワードです。
今年度は「つながり」をテーマに講演者を募集。エンジニア同士はもちろん、家族や友人、仕事のパートナー、社会とのつながりなどにより築けた信頼や叶えた夢、手に入れた絆などによるワークスタイルリフォーム(働き方改革)について、テーマに沿った最終プレゼンを、ファイナリスト4名に披露していただきました。
プロエンジニア、元サッカーレフリー、元野球選手で職種が異なる人達の意見及び哲学が聴けました。
ビフォーアフターの発表という形式を通じ、フリーエンジニアとしてどのように感じているかを知ることができました。
桑田真澄さんとプロの審判の方の講演はとても有意義で感銘を受けました。懇親会も楽しかったです。
発表されたすべての方々の失敗事例と不屈の克服事例が、たいへん勇気をいただきました。これそのものが最大のつながりといえましょう。